月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

5.幸せの風景



聖地の時間にして数ヶ月が過ぎた頃アンジェリークが久方ぶりにその姿を表した。
各地の惑星での職務も順調に進み、監査の仕事もひと段落ついたので報告に来たのである。
聖地の同僚達は、彼女の変化に驚かずにはいられなかった。
外見的に、どこがどう、と変わっているわけではないのだが、その雰囲気はすでに少女とは呼べない気品に満ちている。
この短い間に、と考えてから、ああ、とすぐ思い直す。その疑問を素直にランディが口に出した。
「外の世界では、どのくらい時間が経ってるんだい?」
アンジェリークは微笑んで答える。
「三年、経ちました。だから、皆様が、懐かしいとさえ感じます。私、少しは大人になったように見えます?」
そういって向ける笑顔は、やっぱり、かつての元気なアンジェリークであった。
オスカーがウインクして言う。
「なかなか、素敵なレディになったもんだな。正直、驚いたぜ」
えへへっ、と照れた笑いを見せてからまじめな表情に戻り、報告を始めた。

各地の「黒いサクリア」はほぼ昇華され、任務は終了に近づいている。
このあともちょくちょく問題は起きるだろうが、それはその都度対応すればいいだろう。
そこまで説明してアンジェリークは顔を曇らせた。
「実は、ひとつだけ封印し直しただけで、昇華できなかったのがあるんです」
それは、一番はじめに訪れたサラトーヴの神殿のことであった。
規模が違いすぎて、封印のみに留まっている。
「それで、これは皆様の力をお借りして、昇華したいと思って、今回お願いにきたんです」
惑星の名前を聞いて、ジュリアスがおや、という顔をした。
かつて、クラヴィスと共に封印した場所である。
「あの神殿のサクリアに関しては、サラトーヴのかつての王家、 もしくは司祭の血を引く者の協力がなくば昇華はおろか封印も難しいのではないか?」
それに該当する人物がいるのか、と尋ねる。
アンジェリークは頷いた。
「該当者は、います」
そう言ったあと、微かに頬を赤らめた事にこの場の何人が気付いただろう。
「セリオーンという、王立派遣軍の監査官担当の人物がそうです。 前回の封印のときも、他の惑星のサクリア昇華も、彼の協力がありました」

◇◆◇◆◇

サラトーヴの件は詳しい現状調査の後に、実行に移されることとなり、調査のためあわただしく再びアンジェリークは聖地を去った。
のんびりとした午後、お茶会を催しながら、ルヴァが言う。
「アンジェリークは綺麗になりましたねえ。びっくりしましたよ」
「もともと、カワイイ子だったけどねえ」
オリヴィエもつぶやく。
「そうかー?とろとろしてて鈍くさいとこなんか、かわってねーぞ」
「素直じゃないねえ、少年」
「そうだぞ、ゼフェル、ぜったい、綺麗になった。うん」
「んなこと力説すんなよ。バカランディ」
「なんだと!」
「あ〜あ、アンタ達もすこしは見習ってオトナになりなさいよっ」
リュミエールはふふっと笑いながらその様子をみている。
いつものこの喧嘩は、彼にとってすでに「微笑ましいもの」と化しているので、仲裁もしない。
「恋を、しているようでしたね。それも、素敵な恋を」
「あ〜ら、りゅみちゃん。なかなかスルドイじゃな〜い?」
そう言うオリヴィエも気付いていたのだろう。
「もしかしたらあのコ。補佐官やめちゃうかもねえ」
寂しげな空気が流れるテーブルの上、新しいお茶を注ぎ足し、ルヴァは微笑む。
「それも、また、彼女の人生ですよ。幸せになって欲しい。そう、思いませんか?」
そう言って。

◇◆◇◆◇

セリオーンの話によると彼は例の神殿に仕える祭司の家系に生まれたらしい。
時間の経過によって血は薄まり力も弱まったが、その使命と精神は連綿と受け継がれ現在に至る。
「もともとこの星はふたつの民族が暮らしていたのですが、片方が片方を滅ぼしていまのサラトーヴ人がいるのです。神殿に封じられているのは滅ぼされた民族の怨念とも言われていますが、今となっては本当のことはわかりません」
封印が解けかかっている今、昔のように力をもった自分が生まれたのもひとつの宿命だろう、とも彼は言っていた。
それこそ『惑星監査官』に、との交渉もあったが、神殿を放って故郷を離れるには抵抗があったらしい。
それで今回の派遣軍に申請し、監査官担当となったのだ。
サラトーヴの問題解決の暁には他の惑星の問題にも協力する、という条件で。
当初、若すぎると思われるこの人事はそういう理由である。
サラトーヴの問題が解決されてもやはり、彼は普通の人間と時間を異にする惑星監査官じたいになる心づもりはないようであったのだが ――

アンジェリークが聖地を辞してサラトーヴに着いたとき、すでに夜であった。
「久しぶりの聖地はどうでしたか?」
先に到着していたセリオーンが執務室で尋ねる。
かつて出会ったとき十七才であった少年は、いまは立派な青年となっていた。
グレイの瞳の輝きが時を経て、深みを増している。
けれど、知性に満ちた、それでいてやさしいその人柄は、すこしも変わっていない。
「ぜーんぜん変わってなかったわ。もっとも、あちらじゃ数ヶ月くらいしか時間がすぎていないの」
十七才のままの少女はそう答える。
そうですか、と応じてから彼が言った。
「少し、話があるんだ」
彼が敬語でなくなったとき、それは仕事以外の話のときである。この三年、それは変わらない。
「外に、散歩にでかけないか?」

互いに協力し合い、時には生死の狭間さえ経験したふたりが、強い絆で結ばれるのは、ごく自然なことであった。
ただ、長い間このふたりを恋人同士にせず、隔てていた一線がある。
それはもちろん ―― 互いに流れる時間の違い。
それである。

美しく手入れされた庭園をふたりは歩いている。
かつての王家の宮殿が、現在公園として一般に公開されているのである。
夜気がやさしい風となってふたりを包む。
サラトーヴの月は、今日も眠っていた。
「この惑星は、相変わらずね。久しぶりに帰って来た故郷の御感想は?」
みえない月をみつめながら、アンジェリークは言うが、彼の返事はなかった。
沈黙が少し苦しい。
以前から覚悟はしていた。この一連の任務が終わったら、補佐官として聖地に自分は戻る。
セリオーンとは、その時が別れの時となるだろう、と。
―― 補佐官をやめるわけにはいかない。
それだけは、絶対であった。義務感からではない。それは、彼女の信念なのだ。
けれど。
こうして実際別れを間近に感じて決心は鈍らざるをえない。
このまま、この人と一緒に生きてゆけたら、どんなに幸せだろう?
風にあおられた噴水の水が微かに飛んできて肌に冷たく感じる。
それまで黙っていたセリオーンが突如話しだした。

「今度の任務が ―― 昇華が終わったら、この惑星ともお別れだから今の内に故郷を心に焼き付けておくよ」
「お別れ、って?」
任務が終われば、彼はここで生活するのではないのだろうか。
そう思い、セリオーンを見た。
「でも、そのまえに君の気持ちを確認しておきたい」
セリオーンはアンジェリークに向き直る。その表情は真剣そのものだ。
「これからも、君と同じ時間を生きたい。言いたい事は、わかってる。 でも、すべてを無視して、君の気持ちだけを答えてくれないか。」
―― 一緒にいたいと思っていてくれているか、どうかだけを。
アンジェリークは頷き、そして感極まりセリオーンの胸にすがりつく。
「私だって、そう思ってる。でも」
それは、不可能、と言おうと思った時、セリオーンが先に言葉を口にする。
「補佐官を辞める必要はないよ」
「は?」
つい、間抜けな声をだしてしまう。
青年はしてやったり、という顔をして笑った。
「ついさっき、正式な『惑星監査官』任命の辞が降りた。 あちこちの惑星に出かけるだろうけど、事件が無い時は基本的に任地は聖地らしい」
アンジェリークが瞳に涙をためてセリオーンを見上げる。
「プロポーズには頷いてもらえたわけだね?」
ほっとしたようなため息のあと、振られたら、どうしようかと思った。と彼は笑った。

「おんなじ時間を過ごせるの……?」
「そう」
「これからもずっと?」
「そう」
「私が、補佐官辞めなくても……?」
「そう!」

セリオーンはふいに真面目な顔になりアンジェリークを抱き締める。
「ずっと、こうやって、君を抱き締めてみたかった」
そう言って。
きっと、神殿で倒れている君を見つけたときから、この恋は始まっていた。
そしてこれからも、続いていくだろう。
そう。
―― 死がふたりを別つまで

静かに交わされるくちづけ。
幸せな恋人達を、地上からは見えない月はきっとやさしくみつめていたに違いない。

◇◆◇◆◇

サラトーヴの神殿の調査結果を伝えに再びひとり聖地を訪れたアンジェリーク。
もちろん、自分達に新しい同僚ができるということと、婚約の報告も忘れなかった。
さて、彼女の婚約に、密かにやけ酒を飲んだ守護聖が、いたとか、いなかったとか。
まあ、それはともかく、聖地の風景は彼女の瞳に今、この上もなく美しく映っていた。
すべてが美しく感じる時それはきっと、幸せな時。彼女はそう思っていた。


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